父の日というのは影が薄いものだ。
しかし,影が薄いくらいでちょうど良い。
それは父親というものは,黙っていて影を薄くしている方が無難だからだ。
私の父は,既に鬼籍に入って長い。
幼い頃,銭湯でみた父の背中は赤銅色で,筋肉が隆々としていた。
子ども心にもたくましく見えた。
父は,それなりに学問は身につけたが,社会的地位も,名誉も,そしてお金にも縁がなかった。
何しろ,晩年に「借金をしなかっただけでも俺は立派だ。」と自慢げに言っていたほどだ。
「借金をする甲斐性もなかったくせに」と母に悪態をつかれながら。
いつも,黙々と仕事をして,黙々と読書をして,黙々と晩酌をしていた。
父は,手先はすごく器用だったが,生き方は不器用そのものだった。
しかし,人の悪口とねたみを父から聞いたことはなかった。
後年,親孝行のまねごとで,温泉に連れて行ったときのこと。
しばらくぶりに,同じ湯船に入り父の背中を流した。
既に糖尿病が進んでいてたくましかった背中は,筋肉が落ちて,骨が浮き出ていた。
年取ったな。苦労させたな。心の中では言えるのだが,ついぞ,正面切って声に出して言うことはできなかった。
今時,親父という言葉は,何気がなく使われている。オヤジと書くとほほえましくもある。
若い人は,女性でも,父親のことをオヤジと気軽に呼ぶのだろうか。
私は,父を親父とは呼んだことはなかった。
それは,父にそう呼ばせないだけの威厳があったからではない。
太平洋戦争中に予科練から海軍に入り南方の島々で死線をさまよった父。
九死に一生を得た後に,言い表せない戦後の動乱を味わった父。
その絶対超えることのできない時代の重さが垣根となり,親父とは呼ばせなかったのだ。
人に迷惑さえかけなければいい。自分のやりたいことをやれ。
そう言いながら,ほとんど私や弟の進路とか職業選択には関心を持たなかった。
私の入試の時も徹夜で工場の機械を修理していた。
子どもは親の背中を見て育つという。
私は父の背中を見て育ったと言えるのだろうか。
岡田まさき
Aさんは,還暦を過ぎている。
アパートに一人で暮らしている。
部屋には,経済的理由で別れた奥さんの写真がきれいに飾られている。
とても,Aさんの体では養うことができなくなって,泣く泣く別れたのだ。
今でも,電話と手紙のやりとりを続けている。
二人はまだ愛し合っているのだ。
Aさんは,中学校を出てから40年以上も保温工の仕事をしていた。
有名なビルや,デパートといった,大きな建物の天井裏がAさんの職場だった。
その中をはいずり回り,一年中カッターでアスベストの入った板を切り刻んだ。
おまけに四方八方からアスベストがたっぷり入った粉じんが押し寄せてきた。
苦しくても続けないと生きていけない。
Aさんは思いきり汚れた空気を吸い込んだ。
おかげで,Aさんの肺はアスベストがからみついた石の肺になってしまった。
「汚くて,辛い仕事だったから,イイオモイをした頃もあったのですよ。」とAさんは言う。
イイオモイだなんて,アスベストを売りまくって稼いだ人たちから見たら比べものにならないのですよ。
Aさんが味わったイイオモイなんて本当にささやかなものですって。
Aさんは,アパートの2階に住んでいる。
ベットは,部屋のロフトにあって,はしごでよじ登らないと眠りにつけない。
Aさんは,酸素吸入の機械を手放すことができない。
アパートの階段を上がるときは酸素ボンベを抱えないと駄目だ。
ロフトのベッドまであがっていくことが辛い時は下のこたつで眠る。
それでも,Aさんはどこにでも行く。
アスベストで苦しんだり泣いている仲間や遺族がいると聞いたらどこでも行く。
酸素吸入器をもって埼玉・東京・横浜はもちろん大阪でも神戸でも。
私がAさんにお元気ですか。と言おうとすると,
いつも先にAさんから,しっかりした声で言われてしまう。
「岡田さん。元気ですか。」
元気をもらっているのは,Aさん。私の方ですよ。
岡田まさき
キャンディーズというと,今は南海キャンディーズなのかもしれない。
私の時代は,キャンディーズである。
そのメンバーであったスーちゃんこと田中好子さんの突然の訃報に驚いた。
キャンディーズは,私とほとんど同世代である。
彼女たちがトップアイドルの時は,特にファンと言うほどではなかった。
ただ,同じ時代を共有していたという思いを持ち続けていた。
私の年になると,これまでに同年代の知人友人の訃報に幾度も遭遇している。
彼女の死は,一面識もなかったのにかかわらず,リアリティを強く感じる。
それは彼女という存在が映像を通して日常生活の中にとけ込んでいたのかもしれない。
そんな彼女がガンを患い長い闘病生活を送っていたこと,
病をおして仕事を精力的にこなしていたこと,
故夏目雅子さんの意志を継いで骨髄バンク等のガン撲滅運動をしていたこと,
不覚にも初めて知った。
私は,彼女の心の強さに驚嘆し,涙する。
私は,病と死を受け入れて,それでも自分を失うことのなかった強さに驚嘆し,涙する。
昏睡状態に入る前に録音されたというテープが告別式に流された。
芸能人らしい演出という皮肉めいた見方は不謹慎と言うよりも不遜であろう。
最後の言葉であることを自覚して,東日本大震災の被災者とガン患者に向けられた心遣い,
そして死してもガン撲滅運動に関わりたいというメッセージは,箴言である。
人は,他者を思いやる心を持つことができるからこそ人間なのだ。
彼女の思いはしっかりと届いている。
岡田まさき
この日,夕方6時のニュースを見て驚いた。
新宿に人が溢れかえっているではないか。
それは,3月11日東日本大震災による福島原発被害と,それに対する反原発のデモだ。
こんな大勢の人が心一つにして新宿に集まるところを見たのは何年ぶりだろう。
政府はだらしない。東電は嘘つきだ。日本の技術力のレベルは低かったのだ。
今,彼らを批判する言葉は,いくらでも尽きることなく出てくる。
あまりにも多すぎて整理がつかないくらいだ。
しかし,確実なのは,地震と津波によって直接的な被害を受けた人だけではなく,原発が機能不全に陥って放射能をまき散らして,その被害を受けている人がいることだ。
そして,原発が,政府や学者や,東電が考えていたような,どんな事態でも何とかなる人間に優しいものではなく凶悪なものだったと言うことだ。
私たちは,世界にヒロシマ,ナガサキについでフクシマの名を今回で知らしめることになった。
フクシマで原発は目下のところモンスターとなって人間の手に余る存在となっている。
そして,いやな言葉だが,「次の大地震」では別の原発が,いつモンスターとなるか分からない。
起こってしまった不幸は取り返しがつかない。だが,それを若者や子どもに押しつけることは許されない。
デモに参加している人の群れは,誰も原発被害への不安を抱えながらも,表情は晴れやかだった。
それは,老若男女を問わず正しいことをしているという確信に満ちた晴れがましい顔だ。
何よりも,若者が多く参加していることが,うれしい。
若者よ,もっと怒れ。
おじさん達は,あまりにも高度成長とバブルとで甘い夢を見せられて飼い慣らされてしまったのだ。
こんな時代だからこそ,若者が若者らしくあることが必要だ。
大人が嫌うことや大人から見てできっこないことを言ったり行動したりしてこそ若者だ。
そんな若者がいる限り未来は明るいと信じよう。
岡田まさき
散歩中の交通事故や獣医院の医療事故でなくなるペットが増えている。
ペットが死んだときに,その賠償はどうなるか。
ペットショップで買った犬や猫は,つけられていた値札の値段で決まるのか。
買ってから,5年経っていると車と同じに減価償却をして買った値段の1割になるのか。
あるいは,減価償却済みでゼロと言うことになるのか。
ペットショップで売られていない,捨て犬・捨て猫とかもらってきた犬や猫には価値がないというのか。
しかし,長年一緒に暮らせば家族と同じような価値をペットも持つのではないのか。
ペットをなくした飼い主の悲しみはどうしてくれるのか。
ペットも法律からみればもの扱いである。
そうすると,ものが壊れて使えなくなって悲しむ人に慰謝料を請求する権利はない。
従って,買い主からみればペットが事故で殺されたと思っていても泣き寝入りなのだ。
動物好きの弟のおかげで,子どもの頃は,拾ってきたり,もらってきた犬が家には必ずいた。
そして,我が家に7年近くいた雌のゴールデンリトリバーを3年前に送った。
これも飼い続けることができなくなった人から譲り受けた犬だった。
認知症になった母にもなつき,母は他の記憶はなくなっても,その犬のことだけは最後まで覚えていた。
恐がりで甘えん坊で,大きな図体の年寄りになっても子犬のように膝の上に乗りたがった。
見栄っ張りで,池や川を見ると平気で飛び込み,びしょびしょになって遊んだ。
ドライブや散歩をして,うれしさのあまりにしがみついてきた。
彼女の体に異変が起こったのは夏の暑い日だった。
体が動かずに庭にへたり込み,その後は二度とは歩くことはなかった。
そして3週間経つか経たないうちに旅立った。
いよいよ,という時に,彼女は周りに集まった彼女を愛した人間を順番に見渡した。
それは,まるで,最後に「ありがとう。幸せでした。」と語りかけるようだった。
そして,断末魔は,苦しいのか悲しいのか分からなかったが,涙を流しているようだった。
動物に人間と同じ感情とか精神とかが,実際にはあるかどうかは分からない。
動物の行動について,人間が自分勝手に解釈しているだけかもしれない。
しかし,ペットと人間には決して軽くはない共有した時間がある。
それに対しては,きちんと賠償をするのが筋ではないか。と思う。
問題は,その理屈だ。それが難しい。
岡田まさき
とにかく,すごい盛り上がりだった。
しかし,おじさん世代どころかハイパーおじさん世代の私は自分の子どもよりも年下の彼女たちの顔と名前が,それでも一致しない。
それにしても,うまい宣伝戦術を考えたものだ。
CDに投票権をリンクさせるとは,並の発想ではない。
そして,本物の選挙での投票価値の平等などどこ吹く風だ。何しろ,CDを買いまくり1人でお気に入りに50票でも100票でも投票できるというのだ。
さらには,本命と今後の成長株とを分散させるというディーラーまがいの猛者もいる。
開票も笑いと涙の渦どころか嵐である。
御本人もファンも真剣そのもので,その涙は爽快でさえある。
若者はこんなにも熱くなれるのだ。それに引き替え,本物の選挙は,しらけぱなしである。
かの,やくみつる氏は,「彼らに早く日常の現実に戻るように言いたい」とコメントした。現実に目を向けろと言うおじさんからの親切心なのだろう。
しかし,彼らや彼女にとっては,自分たちが熱中するものこそが現実なのだ。
自分の力で結果が作り出せる,あるいは作り出せるかもしれないという思いが彼らを突き動かすのだ。
若者は愚かではない。何に精力を使うべきかを知っているのだ。
それに引き替え,本物の選挙と政治はどうだ。
自分の力で結果を作り出せるとはとうてい思えない。
すべての政党と政治家をひとくくりにするつもりはない。
しかし,私たちに政党と政治家の本当の顔が見えない状態が続いている。
衆議院選挙が小選挙区制となってから久しい。
政策の違いを反映させて政権交代を簡単にさせるとか,それでいて選挙民に顔が見えやすくするとか,それこそ甘言を使って,反対を無視して導入した制度であった。
政策の違いがどこにあるのかが見えない。政治が身近になっているとも思えない。
そして,挙げ句の果てに,政策が違うはずの大政党間の大連立か。
他にも色々問題があるだろうが,ここでひとまずは小選挙区制をやめてみたらどうだ。
自分の力で結果が作り出させると思える選挙をやらせて欲しいものだ。
岡田まさき
アジサイの色は,その育った土のPHつまり酸性度によると言う話は昔から知っていた。
アジサイの色はリトマス試験紙なのだ。
最近,アジサイの色は,土のPHだけではなくアルミニウムイオンも関与していることを知った。
そうか,それで同じ土でも,隣のアジサイとは花の色が違うのか。
しかもアルミニウムイオンが微妙な働きをするというのだ。
どおりで同じ木でもアジサイの花の色が微妙に違っているのか。
アジサイは,好き勝手に色を変えているのではなく,自分が育った土の,それこそ神の見えざる手によって,色を塗られているのだ。
そうなると,移り気という花言葉はアジサイにとっては,失礼千万なことかもしれない。
アジサイの花の咲く頃になると,弁護士になった年のことを思い出す。
その頃は,司法研修所を4月に卒業して弁護士登録をするのだが,弁護士というものはどういうことをするのか,何となく分かりかけた頃である。
ある人が言っていた。「事件が弁護士を鍛え育てる」「依頼者が弁護士を鍛え育てる」
言い得て妙である。その真意は,それからずいぶん経ってから分かってきた。
現実として目の前にある事実に直面して弁護士は弁護士になろうとするし,なっていくのだ。
頭の中で考えていたこと,あるいは学問として教えられていたこと,それだけでは到底歯が立たない現実。
その中で,事実に食らいついてして理論と結びつける格闘をする。
弁護士も与えられた事実という土でアジサイの花のように色を変えていくのだろうか。
一つ違うことは,私にはアジサイにはない足があって動き回ることができることだ。
まだまだ私も事件と依頼者に育てて鍛えていただきたいと思う。 岡田まさき